| 卯月の章 『二人の『鬼』と共に運命に導かれしこと』 ざぁっと風が一瞬強く吹き荒び、部屋から見える荘厳な桜を引き千切る様に運び去る。 「は、現世で安倍どうなったか知っているか?」 「いいえ、知らないわ」 外では風がいっそう強くなる。 風に舞う様にカーテンが踊っていたのを、聖は立ち上がって窓を閉めて止めた。 部屋の中が、一瞬、沈黙に支配される。 弓生は少しの間、思案する様に眉を潜め、すぐに私にひたと視線を合わせた。 「安倍家は今現在、二つに別れている。 一つは表の土御門家、そしてもう一つは裏の『本家』」 弓生の声に、抑揚はない。 ただ在るがままを語ろうとしているのだろう。 表情さえも、冴え冴えと鋭くなっているが、目だけが昔と同じ様に暖かく私を見つめている。 「それはなぜ? 別れなければならなくなった理由は?」 「‥‥安倍の力を恐れたが為の国家の弾圧を逃れ、 力と陰陽道一切を捨て去った表の土御門家は現在、日本神道の公的機関となり、 表には一切現れず闇から闇へと伏され続けつつも、 あらゆる流派の儀法を吸収し、とどめ、力と陰陽道を伝え続けてきたのが『本家』だ」 「いずれは、と思っていたけれど‥‥ それで、あなた達は今、『本家』の使役をしているという訳なのね?」 尋ねる、と言うより確認という表現がピッタリと来る口調でが言う。 弓生はコクリと頷き、ギシリと音を立ててソファーにもたれた。 「それは‥‥あなたがお祖父様に「決して恨みの『鬼』にはならない」と約束したから?」 「ああ」 「聖は‥‥弓生が使役をするのならばあなたも一緒に、というところね」 「当たり前や、ユミちゃん一人で放っておけるかいな」 当然、と言う様に言った聖を弓生は軽く睨み付けたが何も言わない。 似た様な会話は、今まで繰り返されてきたのだろう。 そう思うと自然と笑みが浮かぶ。 この二人が一緒で良かったと。 どちから一人が生き残るのではなく、別々に生きるのではなく、 二人揃って死ねぬ『鬼』の運命を受け入れて互いに護りながら生きてきたのだろう。 私には計り知れない絆があるのだろうが、それが嬉しい。 自分の好きな者たちが、互いに互いを思いやりながら永い時を生きていてくれたのだから。 「今日はもう夜も遅いし、二人とも泊まっていって。 そっちの客間が空いているから、すぐに用意するからその間は好きにしてて」 つい、と立ち上がり、これ以上の話はまた明日にしようと話題を変える。 すると聖は喜んで手伝いを申し出、弓生は苦笑しつつ、テーブルの上にあった新聞に手を伸ばした。 何だか、一気に日常と化した気がした。 * * * 安倍の邸で16を迎えた年、私は時の一条天皇の元へ入内し女御となる事となった。 稀代の陰陽師と呼ばれた阿倍晴明の孫娘であろうと、 陰陽師風情の一族が入内することなど前代未聞の出来事であった。 もちろん、一条天皇がを気に入ったこともある。 だがそれ以上にの持つ聖結界とも言うべき能力を少しでも天皇の傍に、という理由もあった。 ともかく入内が決まり、天皇の意に背くことも出来ずには諦めて命に従う支度を整えた。 そして、明日、入内することとなった日の真夜中、眠れずに簀子に佇んでいるとふと気配がした。 「高遠?」 「‥‥やはり、起きておられましたか」 庭の隅から姿を現した祖父の使役鬼は静かに歩み寄ると、簀子のすぐ傍で跪いた。 「明日にはここを出なければならないんですもの‥‥高遠、あなたとも会えなくなるわ」 いくら祖父の使役鬼とは言え、入内し、 天皇の女御となった自分が祖父以外の者と逢えるとは思えない。 幼い頃から傍にいてくれたこの『鬼』とも、もう逢えなくなるのだ。 「高遠?」 「はい」 名を呼べば、即座に返事が返ってくる。 それすらもこれからはなくなってしまうのだ。 そう思うと、胸が締め付けられそうなほど寂しくなる。 「高遠、隣に来て」 「‥‥‥‥」 無言で従い、はそっと高遠の胸に顔をうずめた。 「お祖父様を、護って差し上げてね」 「はい」 「私が、居なくなっても‥‥」 「‥‥」 途中で泣き出して話せなくなってしまった私の髪を、幼い頃から何度もしてきた様に、 ゆっくりと優しい手つきで撫でてくれる。 もう、こんな優しい時間を持つこともないのだ。 ――同じ事がされることはあっても、それはこの高遠の手ではなく、一条天皇の手であろう。 決して、他の妃がいるにも関わらず自分を好いてくれた一条天皇が嫌いな訳ではない。 ただ、同じ様に自分から愛せないのだ。 それでも、一条天皇の寵愛は、しばらくの間は自分のみに向けられ、 自分も納得してそれを受け入れなければならない。 この時代には、よくある事。 好いた相手と一緒になれるなど、稀なのだ。 特に地位のある家の娘ともなれば、政略結婚は当たり前の様に行われている世だ。 「晴明様のお許しが出れば、いつなりとお会いしに参ります」 「‥‥でも」 「私を誰だと思っている?」 突然の横柄な口調に、はくすりと笑った。 「そうね、あなたは帝をも恐れさせた「雷電」だものね。御所に忍び込むくらい簡単に出来るわね」 「そうだ。だから何もそんなに寂しがる必要はない」 「‥‥私の気持ちまで、あなたにはお見通しなのですね」 にっこりと笑うと、再び高遠の胸に顔を埋めた。 「きっと、きっと逢いに来て」 「はい」 かつて「雷電」と呼ばれ恐れられていた『鬼』は、腕の中の小さな少女を優しい顔で見つめていた。 * * * 眠っている間に、また昔の夢を見たらしい。 入内する前の晩、きっと「高遠」は自分が気付く前からずっと近くで見守っていてくれたのだろう。 今ではそう思う。 未だ闇の中の部屋で、そっと微笑みを浮かべてベッドから出る。 隣の部屋からはことりとも音がしないところを見るとすっかり眠っているようだ。 出来る限り音を立てずに部屋を出ると、カーディガンを羽織って窓辺に行く。 あんなに強い風にさらされても、 そこの桜にはまだまだ多くの満開の花が誇らしげに咲き誇っている。 だが、目の橋に、ちらりと赤い物が見えた。 次の瞬間、呆然と目の前の光景に魅入る。 「紅い、雪‥‥」 血を染み込ませた様に、紅い、鮮やかなほどの、深紅の雪が視界を占める。 ハッと我に返ると、私は慌てて聖達が寝ている部屋に向かってバタン、とドアを開けた。 「ど、どないしたんや?」 「?」 驚いた様な二人から視線を逸らすと、無言で窓の外を指差した。 そちらに目をやった瞬間、二人も息を飲んだ。 さっき私が見たのと同じ光景が、そこの窓にも広がっていた。 見る見るうちに、そこら一体が紅い雪に覆われ、異様な光景と化す。 今は幸い、真夜中。 気付いて騒ぎ出す人も居ない様だが、夜が明け、 そこら一体に広がる薄桃色の水溜まりに首を捻ることになるだろう。 だがそれよりも、と私は記憶の中からある台詞を導き出した。 「紅い雪が降る時、妖魔が目覚める‥‥」 その言葉に反応するように、ピクリと二人は視線を私に移す。 禍々しく染まった雪は、もう小降りになり、すぐにでも降り止むだろう。 けれど私たちは、何故だかそのまま眠る気にはならなかった。 何かが動き出した様な、これから何かが起こる様な、そんな気がしていた。 きっと大変な事になる‥‥ そう、私の直感が告げていた。 聖も弓生も、そんな私を見つめ、何かを決心した様なそんな表情をしている。 「、何があっても、俺らが護ったる」 「昔と変わらず、あの時はだったが、今は、俺の目の前にいるを護る」 優しく、温かい目が二人してそう言ってくれる。 私は、心の底から嬉しかった。 彼らと共にいられる事、自分が他の誰でもない彼らといられる幸福に。 直感が、徐々に予感へと、そして昔に慣れしたんだ予知への感覚と移る。 「――御霊が、復活する――」 ポツリと、自覚のないままに発せられた台詞に、聖と弓生は顔を蒼白にする。 本来、御霊は全て抑えられ、復活など出来るはずもないもの。 けれど、私が予知をした。 昔のような力が残っているのかはともかく、映像が、リアルに目の前に浮かぶ。 それは、あまりにも自分に馴染みの深い御霊であり、姿であった。 さすがに結末までは見えなかったが、私も、そして二人も御霊と対峙している姿が見えた。 優しく、慈愛に満ちた眼差しが‥‥『鬼』へと変わる。 続く |